有名な「フェルマーの最終定理」。
フェルマーの死後330年経った1995年に「アンドリュー・ワイルズ」によって完全に証明され、ワイルズの定理あるいはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。
⇒フェルマーの最終定理 Wikipedia
あの「フェルマーの最終定理」。
3以上の自然数nについて…のやつ。知らんけど。
あの「フェルマーの最終定理」と双璧をなすとか、むしろ超える?超えてる?とか言われていた、
「挨拶しても挨拶返ってこない問題」
私は、ついにこれについて証明し、反証までしようと決心した。
…
…
いや、暇だからではない。
頭がおかしくなったからでもない。
世の中が嫌になったからでもない。
そう。もちろん、
暇だからである。
皆さんにも経験はあるだろうか。
職場で、職場の人とすれ違った際に、挨拶して挨拶が返ってこなかった事は。
私はある。結構あります。
その時の心情は、表現が難しいが、なんか嫌な気分になる。しかし、「嫌な気分だけ」ではない。いくつかの心情が複雑に絡み合っている。「怒」の感情、「哀」の感情…。
一言では難しい。
超難題。
「人はなぜ存在するの?」
ぐらい難題で、一言では言い表せない…。
しかし、一言で表現するなら、「めちゃ恥ず」である。
さらに、その瞬間を第三者が見ていたらと思うと「めちゃ恥ず」でありまする。
第3者からは「あいつ、元気よく挨拶したのに、挨拶されてないやん。ダサッ。」と思われているだろう。そうに違いない。
こういう経験を経て、今の私が作られていると考えると、これからの若者にこのような「世紀の問題」を未解決にしたままではいけないと思い、この問題の証明と反証に乗り出した所存でありますり、つかまつる。
このため、本日は「挨拶したが、挨拶返ってこなかった場合の対処法」を述べていきたいと思う。
まず1つ目。
「挨拶したことを無かった事にする」
である。
これは、良く使う手だろう。
会釈付きの挨拶だった場合。
すれ違った後も、数回会釈を繰り返し、さもヘッドバンギングをやっているかのようにします。
そして両手を軽く挙げ「昨日YouTubeで見た、ラップバトルのバイブス感が抜けない」的な雰囲気を醸し出しましょう。
そうすると、挨拶して挨拶返ってこなかった瞬間を目の当たりにした第三者からは、こう思われるだろう。
「あぁ、さっきのは、挨拶して挨拶返ってこなかったのではなく、ラップバトルのバイブス感が抜けていないんだな。」
「オレのはやとちりだったな。」
と。
そして、あなたは大きな声で「チェケラ」もしくは「プチョヘンザ」と言えば、挨拶していた感は無くなるでしょう。
次に、2つ目。
「おはようございますを連呼する」
である。
「おはようございます」と挨拶して挨拶返ってこなかった場合は、すれ違ってもそのまま「おはようございます」と連呼しましょう。
「おはようございます。おはようっす。おはようございまーす。おざまーす。おざまーす。おざまーす。」と、とくダネ!の小倉さんぐらい印象に残るようにあいさつを連呼しましょう。
そうして、挨拶したけど挨拶返ってこなかったのではなく、「もともと挨拶の発声練習をしていただけ」の雰囲気を作り出しましょう。
そうすれば、挨拶をして挨拶返ってこなかった瞬間を目の当たりにした第三者からは、こう思われるだろう。
「あぁ、あいつは挨拶したけど挨拶返ってこなかったのではなく、挨拶の練習をしていたのか。」
しかも、「とくダネ!の小倉さん寄りの挨拶かな?」
と。
「なんで今さら小倉さん?」
と思われるのは、致し方ないでしょう。
ただ、ここで注意しなくてはいけないのは、小さい声でブツブツと言ったのでは、確率的にキチガイ扱いされる危険性もあるので、大きな声ではっきりと連呼しましょう。
そして、「チェケラ」もしくは「プチョヘンザ」と言えれば成功です。
いかがでしたでしょうか?
ぜひ皆さんも試してみてください。
というしょーもない雑記も書いてます。
☞カテゴリ: 雑記
2020.7.13 書き下ろし
2022.12.28 リライト
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