今回は「現世の神秘」を垣間見た。
という内容の雑記を書くとしよう。
私は目が悪い。
目が悪いと言っても目つきが悪いとか、目が不細工とかではなく、視力が悪い。視力が低下している。むしろ私の目はカッコいい。
どのくらい視力が低下しているかというと、裸眼では15㎝先の文字が見えない。視力検査の一番上の「C」の穴がどちらが空いているか分からない。というか「C」すら見えない。完全にぼやけている。それぐらい視力が低下している。
ということで、普段私は眼鏡をかけている。現代の眼鏡はスタイリッシュだ。江戸時代に生まれなくて良かったと思っている。
江戸時代の眼鏡はダサい。かけたくない。
しかし、いくら現代の眼鏡はスタイリッシュになったといっても、眼鏡は嫌いだ。
なぜかというとリスクを背負っているからだ。
なぜリスクを背負っているかというと、眼鏡には縁がある。その眼鏡の縁は、私からすると死角になっている。その死角から敵が攻撃してきた場合、対応がコンマ数秒遅れてしまう。
命取りの時間である。
また、NGL自治区に入れないというリスクも背負っている。キメラアントを駆逐できない。
しかもキメラアントが眼鏡の縁の死角から攻撃してこようもんなら命取りである。
あと眼鏡をかけるのが面倒だ。
「念能力」を取得して、眼鏡を具現化してやろうかとも思っている。
しかしそれでは容量(メモリ)の無駄遣いだ。そんなことではヒソカに一生勝てないだろう。
…
…
なぜかHUNTER×HUNTERの話が混ざっている…。
時を戻そう。
最近では「レーシック」という視力を回復する手術があるようだ。
角膜にレーザーをあてて角膜のカーブを変え角膜の屈折力を調整することにより、近視・遠視や乱視を矯正する手術みたいだ。
コワイ…。
失敗しないかどうか不安だ…。
もし私が写輪眼を開眼する能力があったとして、レーシック手術を受けて開眼しなかったら…
そう考えると、レーシックを受けることはできない…。
ということはやはり眼鏡しか残っていないのか。コンタクトはランニングコストが高い。やはり眼鏡か…。
しかし、やはり眼鏡は嫌いだ。
なぜ私が眼鏡が嫌いかというと「眼鏡=マジ坊(真面目な男の子)」という、よく分からない概念が私を支配しているからだ。
私が中学生の頃、マジ坊(真面目な男の子)は女性にモテなかったし、イケてなかった。
マジ坊を下に見て、自分が優越感に浸るという、イケてもなく、イケてなくもない中の上の私だった。
人をランク付けするのは中二病だったのか、自分が卑屈だったのか、人間…いやホモサピエンス、いや生物のDNAがそうさせるのかは分からない。人のランク付けは意味の無いものだ。
当時、人をランク付けしていたのは生物のDNAのせいだ。
私のせいではない。そういうことにしておこう。
とにかく「眼鏡=マジ坊(真面目な男の子)」という概念が今の私の心の奥底に眠っているのであろうが、眼鏡が嫌いだ。
私の中学校のマジ坊たちは、授業中にゲーム雑誌を見ていた。
ゲーム雑誌だけならまだしもゲームボーイでポケモンをやっていた。
授業というものは知識をゲットするものだ。
そんな中でやつらはポケモンをゲットしていた。
センコーに見つからない様にうまく隠れて授業中にゲームボーイをしていた…。
トキワの森の草むらで潜むトランセルのごとく、うまく隠れてゲームボーイをやっていた。
いや、マジ坊の方が不良ではないか。
授業中にゲームボーイしたらいかんだろ。普通に。
反社会的じゃないか。先生可哀そうだろ。
マジ坊の方が、確固たる「自分」というものを持ち、行動していた…。
今思えば、マジ坊のやつら、スゲェぜ…。尊敬するぜ。今度会った時には「お前らカッコよかったぜ」とサトシばりに言ってあげよう。そしてゲームボーイをプレゼントしてあげよう。
あれ?
今回は何の話だっけ?
「現世の神秘?」
長くなったので次回に話すとしよう。
というしょーもない雑記も書いてます。
☞カテゴリ: 雑記
書き下ろし:2020年10月25日
リライト:2023年6月17日
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